サクバットと3Sは、とても大切な関係です。3Sとはドイツの初期バロック音楽を代表するハインリヒ・シュッツ、ヨハン・ヘルマン・シャイン、ザムエル・シャイトの総称のことです。(残念ながらソナタで我々に馴染み深く、サクバットについての著作も残しているダニエル・シュペールは、そこには入っていません・・・)
シュッツはJ.S.バッハ生誕の丁度100年前の生まれで「ドイツ音楽の父」とも呼ばれています。彼は1609年からヴェネツィアで晩年のジョヴァンニ・ガブリエーリに弟子入りし、イタリアで全盛期を迎えていたヴェネツィア楽派の手法を会得、1611年には最初のマドリガーレ集第1集を、そしてドイツ帰国後1619年にはガブリエーリの作曲技法を彷彿とさせる「ダビデ詩篇歌集」を完成させました。(シュッツは、死の床にあったガブリエーリから指輪の遺贈を受けています)
ドイツ帰国後カッセルを経てドレスデン宮廷楽団(現在のシュターツカペレ・ドレスデン)の指揮をミヒャエル・プレトリウスと共に行い、1621年から生涯、楽長の地位につきました。
ドイツ国内は1618〜1648年三十年戦争(プロテスタントとカトリックの勢力争い、スペイン・ハプスブルク家とフランス・ブルボン家の抗争を背景に勃発、国際的戦争にまで発展)でドイツ人口の3分の1以上が失われ、ドイツ文化が徹底的に破壊されました。
シュッツは戦況の悪化とともに楽長としての仕事が減り、何度か国外へ、1628年には再びヴェネツィアを訪れクラウディオ・モンテヴェルディに師事しています。
シュッツの功績は、ドイツ語ルター派の宗教的テキストにイタリア初期マドリガルの様式で音楽をつけ、ドイツに根付かせた事です。そして晩年は更に円熟し受難曲として、ドイツ風の聖書物語音楽の形式にイタリア風オラトリオの形式をも加味したことでしょう。彼の音楽に欠かすことの出来ないサクバットの荘厳で暖かい音色は、神や天使といったこの世を超越した存在を象徴するのにふさわしく、特に人間には背負いきれない悲しみを慰める音色として大変重要に扱われています
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ハインリヒ・シュッツ
Heinrich Schütz(1785〜1672)
Geistliche Chormusik SWV 386 / 387
聖なる合唱曲 386 / 387番
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ハインリヒ・シュッツ
Heinrich Schütz(1785〜1672)
So fahr ich bin Jesu Christ
今、私はイエス・キリストのもとへ
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ハインリヒ・シュッツ
Heinrich Schütz(1785〜1672)
Ist es nicht Ephraim mein teurer Sohn
愛しい息子エフライムよ
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ハインリヒ・シュッツ
Heinrich Schütz(1785〜1672)
Davids Psalmen
ダビデ詩篇集
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ハインリヒ・シュッツ
Heinrich Schütz(1785〜1672)
Matthäus-Passion
マタイ受難曲
シャインはドレスデンで聖歌隊員として歌い、ライプツィヒ大学で法学も勉強し、ヴァイマルの宮廷楽長、その後1615年にライプツィヒ聖トーマス教会の教会音楽長、同時にライプツィヒ市音楽監督となりました。(後にJ.S.バッハがこの地位に就任)
シャインは生涯にわたり病気に苦しめられ一度もイタリアへ旅行したことがないにも拘らず、イタリア・バロックのモノディ様式(独唱と伴奏)、コンチェルタート様式(通奏低音上、器楽または声楽が一つの旋律を共有し交互に奏でる)を理解していました。彼は当時ドイツで入手可能だったヴィアダーナの「Cento concerti ecclesiastici」をモデルとしていたようです。
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ロドヴィコ・ヴィアダーナ
Lodovico Viadana(1560?〜1627)
Exsultate justi [á 4; Adoremus]
「私たちは崇拝します」
ほとんど宗教音楽しか作らなかったシュッツとは異なり、シャインは宗教音楽も世俗音楽も(歌曲では歌詞全てを自ら)書きました。世俗器楽集「音楽の饗宴」は20のダンスの変奏組曲から成り宮廷晩餐のためヴィオール用に書かれたと思われますが、度々古楽金管アンサンブルでも取り上げられる代表作です。(パヴァーヌ - ガイヤルド -クーラント - アルマンド - トリプラの構成)
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ヨハン・ヘルマン・シャイン
Johann Hermann Schein
(1586〜1630)
Banchetto musicale「音楽の饗宴」
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ヨハン・ヘルマン・シャイン
Johann Hermann Schein
(1586〜1630)
Fontana d'Israel:No.1. O Herr, ich bin dein Knecht
イスラエルの泉「1番 主よ、私はあなたのしもべです」
シャイトはハレ生まれで、アムステルダムの著名なオルガニスト、スウェーリンクに師事し、ブランデンブルク辺境伯の宮廷楽長に就任しました。当時の多くのドイツの作曲家とは異なりシャイトは、三十年戦争の間もドイツに留まり、宗教改革の結果確立された北ドイツ様式の最盛期の作曲家の一人として、オルガン音楽の先駆者として生き抜きました。各地にイタリア様式の影響が多く残る中、プロテスタント地域は宗教的にも物理的にもローマから隔絶されていたため、大きく異なる新しいドイツ様式を発展させることができたのでしょう。
シャイトの音楽は、大半はオルガン曲を含む器楽曲と、無伴奏あるいは通奏低音伴奏による宗教声楽曲でした。オルガンのコラール前奏曲においては、定旋律変奏の技法(コラールで複数の主題を用いる)と、多数のフーガ、舞曲組曲(循環バスによる)や、ファンタジアを作曲しています。
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ザムエル・シャイト
Samuel Scheidt (1587〜1653)
Ludi Musici 音楽の遊戯より
Paduane パドゥアーナ
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ザムエル・シャイト
Samuel Scheidt (1587〜1653)
Ludi Musici 音楽の遊戯より
Corrente コレンテ
3Sに入っていないダニエル・シュペールはポーランド生まれ、ドイツのゲッピンゲンで亡くなりました。彼は1687年中期バロック音楽を理解するのに役立つと考えられる、音楽に関する論文を発表しました。その著作は1世紀以上にわたってドイツのバロック様式のトロンボーン作品に影響を与えました。音楽以外にも、政治的小冊子が原因で1年半投獄されたり、文学でも音楽シーンを感じさせるユーモアを生かしたいくつかの自伝的小説で知られています。作曲家としてはトロンボーンのための音楽が有名です。「バンケルセンガーの歌曲」のソナタ第29番もよく知られていて、結婚式やフォーマルな場でよく演奏されます。
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ダニエル・シュペール
Daniel Speer(1636〜1707)
Sonata in for 3 Trombones
3
本のトロンボーンのためのソナタ
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ダニエル・シュペール
Daniel Speer(1636〜1707)
Sonata No. 29 from Die Bänkelsängerlieder
「バンケルセンガーの歌曲」のソナタ第29番
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ダニエル・シュペール
Daniel Speer(1636〜1707)
Vierfaches Muscialisches Kleeblatt: Sonata a Cuarto en Sol
クローバーのソナタ
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ダニエル・シュペール
Daniel Speer(1636〜1707)
2 Sonatas in C-major
2つのソナタ
著作
Speer, Daniel (1687): Grund-richtiger/kurtz/leicht und noethiger Unterricht der Musicalischen Kunst