updated   2024-03-17

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サクバット奏者 宮下宣子

vol.6 古楽の歴史とサクバット②

    フランドル楽派と、中世、ルネサンス時代の音楽教育

 前章で優秀なフランドル楽派の作曲家たちがイタリア、主にフィレンツェに流れた、というところまで書きましたが、それには様々な政治的な理由がありました。はじめフランス王国領だったフランドル地方はその後ハプスブルク家領となり、さらに1555年には、スペイン王カルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)の支配に、そしてその子フェリペ2世に継承されることになりました。フランドル地方に対してスペインは重税やカトリック教の強要などの圧制を加え、自由な芸術活動も阻害したために、多くの音楽家が亡命活動を余儀なくされることとなったのです。そうした音楽家たちは前述したデュファイ、ジョスカン・デ・プレの他、オケゲム、バンショワ、オブレヒト、ド・ラ=リュー、イザーク、オルランド・ディ・ラッソ、ヴィラールト、フィリップ・デ・モンテなどでした。
 
 これらの音楽家の、サクバットアンサンブルでも出来そうな曲をほんの数例挙げておきます。この時代の作品は著作権がないし、IMSLPやChoralWikiで検索すれば、現代版の楽譜も、歌詞も手に入ります。音域により移調したりすれば、かなりの作品を演奏することができます。
 
 


ヨハネス・オケゲム  Johannes Ockeghem(1410?〜1497)
Aultre Vénus estes sans faille「金星には欠点がない」

 
 

ジル・バンショワ  Gilles de Binchois(1400〜1460)
Amours mercy「愛の慈悲」
 
 

ヤコブ・オブレヒト Jacob Obrecht
Salve Crux Arbor Vitae「命の樹」
 

 


ピエール・ド・ラリュー  Pierre de la Rue(1452〜1518)
Introitus Requiem aeternam「レクイエム」より
 
 
ハインリヒ・イザーク  Heinrich Isaac(1450〜1517))
Innsbruck, Ich muss dich lassen「インスブルックよ さようなら」

 
 


オルランド・ディ・ラッソ  Orland de Lassus(1532〜1594)
Salve Regina 「麗しきマリアさま」

 
 


アドリアン・ヴィラールト  Adrian Willaert (1490〜1562)
Madrigal "Aspro core et selvaggio" マドリガーレ「頑な心と野生」
 
 

フィリップ・デ・モンテ  Philippe de Monte (1521〜1603)
Sacred and Secular Works 「神聖な作品と世俗的な作品」
 

 ところで、当時は教会では女性は歌うことが出来ず、ソプラノパートは少年聖歌隊が担っていました。そのためもあり、ほとんどの教会には少年聖歌隊があり、ほとんどの音楽家が教会聖歌隊出身で、そこで基礎音楽教育を学びました。そしてフランドル楽派の音楽家の多くは、少年時代にその美声を買われてイタリアに移住しているケースが多くありました。
 
 当時は、まだ調性の観念はなく、初めのグレゴリオ聖歌のところでも触れた『教会旋法』を使っていました。この教会旋法の概念は『ヘクサコード』といわれています。(6つの音からなる全音階的音列。6音中、第3音と第4の間がミファで半音で、あとは全て全音。つまりウット(ド)・レ・ミ・ファ・ソル・ラまでしかなく[シ]がありませんでした。シドのところの半音はミファと読み替えるので、それをどこで読み替えるか(どの場所に半音を持って来るか?によりイオニア、ドリア、フリギア、リディアなどと呼ばれる教会旋法の種類ができ、現代の調性と少しだけ共通するような旋法による性格が生まれたのです。ヘクサコードは中世・ルネサンスの音名理論の基礎でした。
 
 それを少年たちにわかりやすく、左手の関節の間を音名に当てはめ、音名を覚える方法を示したのが『グイードの手』と呼ばれるもので、音階の組織や音名読みを覚える助けにするためのものでした。
 
 
 
グイードの手を 発明したのはグイード・ダレッツォ
11世紀北イタリア、ポンポーザ修道院
 

 当時の音楽的概念として大切なのは、ウット(ド)・レ・ミ・ファ・ソル・ラには、それぞれ音に固有のキャラクターがあり、それを楽しみながら、意味を持たせつつ表現することが大切であったこと。
 
 ミは固く、ファは柔らかい。そして特にそれを変化させるためミには♭をつけて柔らかく、ファには♯をつけて固く変化させたのです。(修辞学的に言えば♭は涙の形で悲しくて柔らかい意味がある。♯はキリストが磔になった十字架の形から来ているそうで固く厳しい意味がある)

 更に音楽的な文法についても触れておこうと思います。当時の記譜法は現代のように自由自在ではありませんでした。ですから15世紀にヨハネス・グーテンベルクが活版印刷術を発明した後も、楽譜については必要最小限の事しか書き込んでいませんでした。もう少し後の時代、ガブリエーリが「ピアノとフォルテのソナタ」で p.とf.を書き込み有名になったのは、それが初めて記されたからで、2つのコアが一緒に演奏する時にf.を書いています。しかし、これが書かれる以前にも、大きい、小さい、は意識されていたはずです。
 
 

ジョヴァンニ・ガブリエーリ  Giovanni Gabrieli(1557〜1612)
Sonata Piano e Forte「ピアノとフォルテのソナタ」
 

 大切なのは、書かれていないから「やらない」は、間違いだという事です。そして書いていなくても、その表情が人間にとって共通の感情、表現というものがいくつかありますので、古楽演奏の際に必須の文法を挙げておこうと思います。 まず、音楽の基は歌なので器楽であっても「なるべく歌のように演奏する」ことは大前提となります。
 
音楽の3要素に即して、まずメロディーから見ると
  • ①同じ音の連続は教会のように良く響く環境では聞き取りにくいため、「特にハッキリ切る。」
  • ②隣り合う音は半音、全音、3度、4度・・・の順に密接な関係があるので、密接な関係ほど滑らかに、跳んだ音は切るのが原則。
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ハーモニーから見ると
  • ①「緊張からの弛緩」は人類共通の快感だとされるため、複雑な音から解決のハーモニーの動きを強調する。
  • ②クロマティック(半音)の語源はギリシャ語で「色彩」
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リズムから見ると
  • ①エネルギーの基はリズムなので、出来るだけ細かく、裏拍もしっかり感じる。ポリフォニーのように音楽の流れが小節線で切れていない時は特に大切。
 
 しかし一番大切なのは、これらを画一的に使うことではなく、自由に操って、心の底からの感情表現に活かすことです!それに慣れることにより、現代のあらゆるアーティキュレーションが書き込まれた楽譜を読む場合も、受動的ではなく、能動的に読むことができるようになり、自発的で音楽的な演奏をするための、大きな力になることは間違いないです。そういった意味から「古楽を学ぶことは本当に役に立つ」と断言することができます。