ジョージ・ロバーツ氏 追悼文
文と写真 村上準一廊
“Mr. Bass Trombone”として世界的に有名で、また多くのバストロンボーン奏者から尊敬を集めるGeorge Roberts (ジョージ・ロバーツ)氏が亡くなられたという知らせでした。 2014年9月28日ジョージ・ロバーツ氏は肺炎のためカリフォルニアのご自宅で亡くなられたようです。86 歳でした。
スタン・ケントン楽団などでキャリアを積んだ後、ネルソン・リドル楽団のフィーチャリングアーティストとしてフランク・シナトラのレコードなどに多くの録音を残されたことはご存知の方も多いかと思います。
私が彼の名を知ったのは学生時代に聴いた1枚のレコードでした。Tommy Pederson (トミー・ペダーソン)の作曲とアレンジでロスアンジェルスのトップクラスのスタジオミュージシャンたちによって録音されたトロンボーンアンサンブルの“All My Friends are Trombone Players”というレコードです。
正確な演奏、豊かな音色, 聴く人を引きつけるおしゃれなノリ。私だけでなく多くのトロンボーン奏者が彼らの演奏に魅了されました。そして、バストロンボーンを勉強していた私としては様々なレコードにGeorge Robertsの名前を見つけては聴きあさるようになりました。
長い年月が経つうち[どうしてもGeorge Robertsに会いたい]という気持ちが私の中に強くなり日本に来てくれるよう手紙を書いたのは今から20年近く前でした。 最初は丁重なお断りのお返事をいただきましたが、二回目はその頃C.G.CONN を輸入していた山野楽器さんのご協力を得て彼の来日が実現しました。1995年のことです。
山野楽器の方と成田空港に出迎え、数日後にはトロンボーン協会のフェスティバルに出演、楽器店ダクさん主催の彼のソロコンサートも新宿文化センターで行なわれました。 その初来日の翌年の5月から6月にかけてパーシー・フェイス楽団の日本ツアーに彼の旧友である Lloyd Ulyate (ロイド・エリオット)氏とともに参加。ツアーの合間に都内にあるバストロンボーン奏者岡田澄雄氏の経営する喫茶店でパーシー・フェイス楽団トロンボーンセクションのライヴが実現します。ライヴの終わりにジョージ・ロバーツ氏が「今回は4人だったが次回は200人でやろう」と叫んでいたので、後日ホテルを訪ねた際、「200人なんてそんな譜面あるのですか?」と尋ねると友達のHarry Betts(ハリー・ベッツ)氏が大編成のトロンボーンアンサンブルのアレンジをしてくれるとのお答えでした。
その時、私が「200人は無理だが100人ならできるかもしれない」と答えてしまったことから1997年と2001年に「100人のトロンボーンコンサート」を開催するに至ったのです。
2003年春にロスアンジェルスのロイドさんのお宅にお邪魔したときは皆さんお元気でロバーツ氏、ベッツ氏と共に再会を祝ったのですが、ロイド氏はその翌年の6月末に他界、ベッツ氏は2011年の東日本大震災の直後、心配の電話をくださり、その時「ジョージは具合が良くない」とおっしゃっていたのですが、昨年7月半ばに他界、そして今回ロバーツ氏がお亡くなりになったのは私にとってとても寂しいことです。
「100人のトロンボーンコンサート」を二度も開催した私ですが、ジョージ・ロバーツ、ロイド・エリオット、ハリー・ベッツという音楽界にとってダイアモンドのような彼らの存在がなかったらこの企画は考えもしなかったでしょうし、その力も湧かなかったでしょう。
今も思い出すのは演奏の後や会話の途中に良いことがあったら両手の親指を立てて「Good !」や「Nice !」と声をかける姿や「人は怒りなどがこみ上げてくるのは良くない。いつも穏やかであること」というロバーツ氏の言葉です。Urbie Green(アービー・グリーン)のように演奏し、Frank Sinatra(フランク・シナトラ)のように歌うことに憧れていた彼はそれをバストロンボーンで実現し、バストロンボーンの存在意義を高めることに成功しました。その功績は永遠だと思います。
愛する“Mr. Bass Trombone” に心から感謝します。
Thumbs up !!
投稿日:2014年10月
日本トロンボーン協会 副会長 村上準一廊
ディスコグラフィーの一部
ジャケットの表
Roberts さんの写真も裏面に名前もありませんが、
全て彼のソロが入っている大事なLPです。
作曲は全てNelson Riddleさん
十数年前にもう1枚のアルバムとカップリングされて
CD発売されていました。